壁画

ヤクブ・マトゥシュカ aka Masker https://www.instagram.com/jakub_matuska_aka_masker/ 壁画 2025

ヤクブ・マトゥシュカ aka Masker 2025 人間の探求の寓意的な表現として、視覚的なストーリーがらせん状に広がり、日常の基本的な事柄や主観的な認識から、普遍的あるいは歴史的な意味合いへと展開していきます。誰もが経験する人生の場面を通じて直感的に理解を深め、得た経験を通じて、より高次の自己認識へと至るのです。「人はどう在るべきか?」という問いは、マトゥシュカにとって、視覚的表現と言語、絵画とドローイングとの緊張関係を検証するための出発点であり、そしてこれらの表現メディアが現実の知覚や世界の理解を形づくるさまざまな可能性を探ることの基盤にもなっています。自身の人生を振り返り描き出すことで、現代社会における緊急性と普遍性を備えたテーマを、その危機を含め、明確に表現することができるのです。

それぞれの場面や状況がコラージュ的に構成されている手法は、これまでのマトゥシュカの作品に基づきながらも、チェコの社会とその歴史的な出来事からも着想を得ています。物語全体にわたり、さまざまな形で、輝く光がモチーフとして繰り返し登場しており、ヒューマニズム、愛、英知、高次の認識といった要素を思わせます。この光は、神秘的な事象として解釈ができますが、日常生活の中で出会うものでもあり、日常生活を超えた体験として出会うものでもあります。ある視点から見れば、それは国民とその文化全体が蓄積してきた知の歴史的集約であり、この空間に本質的に息づいているものともいえます。豊かな感受性と注意深さを備えたすべての人が、この光源とつながることができるのです。その意識は誰もが抱えており、私たちは新たな経験を求めて生涯にわたる試練の旅へと赴かざるを得ないのです――何の変哲もない行動や家族やパートナーとの関係から、社会的に重要な節目、世界的な危機、さらには形而上学的・精神的な体験に至るまで――記憶することのできる断片という形で、より高次の自己認識へと導くのです。

数多のモチーフのひとつとして、車が多く行き交う典型的な郊外の風景を思わせるものがあります。そこでは、ひとりあるいは幾人かの人物が文字通り流れに逆行して歩きながら、各々の思索に沈みながら車で通り過ぎてゆく人たちの物語に思いを巡らせています。別の場面では、一見して物質的には何も問題がない人々が、人生の意味を別の次元に求めようとする姿が描かれています。それは何かを残したいという欲求と自然に結びついています。石を水に投げ入れようと頭上に掲げる人物の姿は、儚さについての思索を暗示していると解釈することができ、波立った水面がしばらくするとまた静かに閉ざされていく様を思わせます。

旅の途上にある人はしばしば、絶望や怒りに襲われます。父親が娘を連れて行った公園にいる白鳥が、誰かが良かれと硬くなったパンを与えたために弱ってしまうのと同じように、物事の裏に潜んだ局所的な問題が、気づかぬうちに世界的な火災へと発展していくのです。だからこそ、現在の環境問題だけでなく、個人ではほとんど影響を及ぼすことのできない複雑な政治的出来事をも浮き彫りにし、同時に未来への不安というテーマを切り拓いているのです。 さらに別の場面では、人が自らの内面の深淵と向き合い、自分が何者であるのかを認め、あるいは自らの影を認識し、その影と共に生きることを学ぶ過程が描かれます。最後にはその認識が、影と踊る能力へと自然に変化していくのです。

家族の場面では主に、いかにして経験を子どもたちに引き継ぎ、文字通り「岩山の上へ引き上げる」か奮闘する様子が表現されています。その精神は、ユニコーンのモチーフにも表れており、親が子に「人生の道筋を示し、照らしてやろうとする」姿を見ることができます。たとえすべてを準備したつもりでも、私たちにできることは、知識の森のなかでただ祈り、身を任せることだけなのかもしれません。

壮大な壁画は、マトゥシュカがこれまで追求してきたドローイングのアプローチをコラージュのように構成したもので、これらのドローイングは様々な形で今後の絵画作品のための基盤ともなっています。これらのスケッチの拡大画の中に、作家の原画から抜き出した絵が配置され、パビリオンの壁面に直接印刷されています。これには、最新のデジタル印刷技術「Wall-ink」が用いられています。

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